あーそうよ、そうなのよ。
生き残りゲーム作品って、最初恐いけど、あっという間に刺激に慣れちゃうのよ。


「死のゲームの中で生き残る」というシチュエーションは昔からありますが、やはり話題になったのは「バトル・ロワイアル」や『あずみ』などからでしょう。なんとも刺激的なテーマです。
最近ではマンガだと『未来日記』『デッドマン・ワンダーランド』など、アニメ化もされる一大ジャンルと化しています。
他にも「生き残りゲーム」作品といえば、映画「キューブ」なんかも思い出されます。理不尽な箱に閉じ込められて、脱出する際に力をあわせる人もいれば恨んで足をひっぱる人もいたりと、人間の化けの皮がペリペリ剥がれるのが面白いんですよねえ。うーん刺激的。


生き残りシチュエーション作品って、確かに脳髄にクるんですよ。一歩間違えば死ぬという緊張感。仲間が簡単に死んでしまう恐怖。訳の分からない仕掛けなどなど。
ましてやそれが周囲の人間との殺し合いとなるとなおのこと。恐い! でも見ちゃう。

逆に言えばこのジャンルの最大の欠点は、次第に刺激に慣れてしまうこと。
どう残虐さを描くかとか、理不尽な死を描くかに力が偏ってしまいます。キャラクターの背景をじっくり描いて退場させることで切なさを描く作品もありますが、どうしてもゴールが「死」とみえているので、チキンレースにならざるを得ません。どうしても「死ぬんでしょ?」という前提があるとどんどん麻痺してしまう。

ところがこの『神さまの言うとおり』という作品、思いっきりそこを逆手に取りました。
どうせ死ぬんだし、と開き直って超簡単に死ぬんですよ。
ばんばん人が。あっという間に。残虐とかそんなのしったこっちゃないよゲームだもん、と言わんばかりに。絵的にはグロテスクですが、あまりにも呆気無くてギャグかと思ってしまうほど。
このマンガ、表紙見ても全く意味わからないと思うんですが、ようは第一話が「ダルマさんが転んだ」なんですよ。
ダルマさんが転んだという遊びは、振り向いた瞬間に動いたらアウトです。
まるっきり同じルールで、振り向いた瞬間に動いたら頭が爆発して死にます。なんと理不尽な!
あまりにも唐突にはじまりすぎる「ダルマさんが転んだ」に、さすがに主人公も最初は困惑します。
友達も死んだ! クラスのヒロイン的存在も死んだ! 死んだ! 皆死んだ!!
……でもすっごいその死が希薄。恐ろしくて身動きもできないとか、悲しみにくれているとかじゃない。当然怖いし、まわりの光景見て吐いたりもしますが、読んでいてびっくりするほど死が軽い。

それよりも生き残った主人公の精神状態の異常さの方がインパクトあるんです。

日々退屈ばかり感じていて、幼い頃あまりの退屈さに、回転する自転車の車輪に指を突っ込んで切断するとか。こっちのほうがクラスメイト死ぬより強烈に描かれているもんだからびっくりしましたよ。
途中、生き残りゲームのはずが仲間を殺し始めるクレイジーなキャラも登場しますが、車輪に指突っ込む主人公の方がよっぽどクレイジーに見えるから不思議。

この作品その後も、理解の出来ない生き残りゲームが続きます。
数えきれないくらい、ばんばん人死んでいきます。死にすぎて滑稽に見えはじめるくらいです。
だって、殺しにかかってくるのダルマとか招き猫ですよ。どんだけ!
いやあ、価値観簡単に揺さぶってくれますね。こんなに命のやりとりって軽い物だっけ? 当然そんなわけはない。
描かれている中心軸になっているのは、生きているという実感はどこにあるのか
その実感はどこにあるのかを主人公や生き残ったキャラクターを通じて問うために、他のキャラは風船のように破裂していくんです。

非常に悪趣味な作品ではありますが、思い切って「生き残りゲームは単なる残虐趣味と刺激」と割りきってしまうことで、逆に「刺激から人は何を感じる?」と問いかける手法には脱帽。
そうなのよ。ぼくも人がゲーム的に死ぬ作品を読んで、たしかにそこに刺激を受けて、悪趣味なドキドキに酔っていた部分、少なからずありましたよ。
人の中に眠る、残虐性からくるカタルシスを求める心理に迫る本作。主人公はまっとうに見えてかなりトんだキャラですが、一巻を読み終わったときにはどこかで「なんとなくわかる、納得はできないけど」となりました。
生きている実感を得るには、そこまで刺激が必要なものなのか。
ああ神さま。
退屈がいいのか、刺激があったほうがいいのか、ぼくにはわかりません。
(たまごまご)